「パラダイス鎖国」感想続き

パラダイス鎖国」の感想の続き。もうだいぶ前(前半読んだ次の日)に読み終えていたのだが、後半部分については、なんだか感想を書けずにいた。
その理由は、パラダイス鎖国国家・日本に対する処方箋として本書に書かれている戦略が、とても納得感はあり、だがこの通りならばこの国は「ゆっくりと」しか変わらないであろう、ということが自分としては気に入らない、ということなのだと思う。
処方箋の最初のところで、とても気に入った言葉があった。「クラスター化」だ。続いて、「ゆるやかな開国」を目指そう、と続く。

(P.97)
たとえば、アメリカ人は、ウェブでなくリアル世界での「クラスター化」活動をすることにあまり抵抗感がない。もともと欧米には、人々の自発的な「クラスター化」をよしとする文化があり、そういう教育を受けているからだ。しかし、そういった文化のないシャイな日本人は、よほど強い思いがないと、なかなか行動までに移せなかった。
(中略)
そんな普通の人たちにとっても、「クラスター化」のための敷居が、ウェブのおかげで大幅に低くなったのである。
(中略)
そして、情報と人のつながりである「クラスター」が日本全国から世界へと広がれば、より多様で質のよい情報が入ってくるようになる。

今の日本にきちんと目線を合わせた提言だと思うし、色々な慣習や考え方を変えなければならないのだから、ゆるやかに変えるのがリーズナブルなのかもしれない。でも自分の人生の残り時間を考えたら、もっと急速に変わらないものかなあ、と思う。
個人でなら、一足飛びに海外へ出てしまうという手もあるのだろう。日本全体では、著者の言うようにゆるやかに変化していくのだろう。その中間解は、ないのだろうか。アメリカにおけるシリコンバレーのように、江戸自体における長崎のように、特異点を作ることはできないのだろうか。
90年代半ばまでのWebは、出島的な雰囲気があったように思う。インターネットでしか手に入らない海外の情報があった。ところが、インターネットが広く普及した結果、逆に日本のインターネット自体がパラダイス鎖国状態になってしまったように思う。その最悪の部分が携帯インターネットで、ここにはもはやグローバルな世界はほとんどない。日本のインターネットにグローバルな特異点を作ることはできないだろうか。