魔法使いの育て方

ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)

ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)

充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。ケータイは今やこの言葉に相応しい存在だ。水晶球とiモードの間に、もはや違いは無いだろう。
ケータイは子供を魔法使いにする。魔法使いになった子供の中の、ある者は悪い目的に魔法を使い、またある者はより強い魔法使いの毒牙にかかる。ケータイに限らず、テクノロジーは人を強化し、その結果起こることはいつも光の部分と影の部分がある。
良いことも悪いことも、その原因は魔法そのものではなく、使い手の心にある。だから心の成長に合わせて、だんだん強い魔法を身につけていくようにしなければならない。一方で、悪い魔法使いの力を押さえ込む工夫も必要だ。
本書「ケータイ世界の子どもたち」は、「いかに子どもを良い魔法使いに育てていくか」をきちんと論じている。ケータイという魔法のダークサイドについて詳しく解説しつつ、しかし魔法否定論でもなく、もちろん自由放任でもない。問題の全貌を俯瞰しつつ、極端な対処策からは一定の距離を置く。
ケータイと子どもの問題に関わりがあるなら、本書はぜひ目を通すべきだ。この問題について政・官の動きと業界団体の動きがそれぞれ報じられているが、「そもそも子どもたちにとっての問題は何なのか」がきちんと整理できていないと、憲法談義から個別の事件の対処策にまで、話は容易に拡散あるいは矮小化する。そのどちらにも陥らず、中立的な立場で問題全体を俯瞰するという重要な仕事を本書は見事に成し遂げている。
どう対処していくのか、具体論はこれからだが、本書を読めば、「とにかく魔法を全て封じろ」というガチガチの規制論も、「悪いのは使い手であって魔法に罪は無い」とする放任論も、等しくナンセンスであることが分かる。大人は、子供を子供のままに押し込めるのではなく、良い魔法使いに成長できるようにしなければならない。一方で未熟な者は指導し、道に外れた者は排除することも必要だ。見習魔法使いを導けるのは、制度でも技術でもなく、分別を持った大人の魔法使い達なのである。