「ウェブ時代をゆく」の「好きを貫く」かつ「飯を食う」生き方

会社帰りに梅田望夫ウェブ時代をゆく」を買ってきた。
頭からじっくり読んだのではないが、一通り目を通したのでファーストインプレッションを書く。
この本が出ることを梅田さんのブログで知ったとき、私はこの本に、ずっと気になっていた問いへの答えが書かれているのではないかと期待した。その問いというのは、公文俊平と梅田さんの対談の中で梅田さん自身が提示した、以下のものだ。

智場web: Web2.0は世界に何をもたらしたか【Webスペシャル版】
今,一番面白いことだからと,一番情熱を燃やせるからと,若い人がオープンソース的なコラボレーションにコミットしていくのはよく理解できる.しかし,公文さんがおっしゃったように,バリューには二種類あり,生きていくためにはこの二つを両立しなければならないわけです.アテンションのあるバリューを追求すればおのずともう一つのバリューもついてくる,だから生きていける,という可能性の中には,アフィリエイトアドセンス,あるいはオープンソースプログラマーIBMに雇われるようなことも含まれるけれど,その経済の総量は現段階では微々たるものです.わたしはそういうことをプラクティカルに悩んでいます.

今のネット社会の状況を見て,ある種の人々は悪い予感を持っています.わたしはそんなふうに結論づけたくはないと思っているから,自分に子供がいたら何と助言できるかを一生懸命考える.で,現段階での答えは,「リアルの世界で一生生きていけるスキルをしっかり身につけて,楽しいことはもう一つ別のネット世界で追求できれば,トータルとして充実した人生が送れるぞ」と.こういう凡庸な話までは思いつくのですが,それ以上の話がまだ思いつかないのです.

「リアルと比べると、ネットでは圧倒的にお金が回らない」というのは梅田さん自身繰り返し言われていることであり、好きなネットでの活動を主体に生活を組み立てようとしたときに、どうやってお金を得るのかという課題に突き当たる。アドセンスで食べていけるとか、会社に入ってもオープンソースの活動だけしていれば許される、といった人達は、ある種、ネット界のスーパースターである。そして誰もがスーパースターになれるわけではない。
この問題について、梅田さんがどう考えているのか、もっと突っ込んだところを知りたくて、この対談が掲載されている「智場」も買ってみたのだけれど、対談のこの部分の議論はこんな感じで終わり、別の話題に移っている。

公文さんがおっしゃっているのは、産業というのは最終的にネット世界の「知」のほうにはない、ということですね。あくまでネット世界の「あちら側」は公共財にかぎりなく近づき、世の中を動かすお金のバリューはネット世界の「こちら側」、リアル世界でまかなわれる方向に向かっている、という世界観ですね。

この世界観には、梅田さんは納得していないのだろうなあ、と読みながら思った。私も、お金も本当はネット世界で回るほうがよいと思う。単純に、そうなっていればよりネット世界に没入できるからだ。お金がリアルでしか得られないのなら、貴重な時間をリアルでお金を稼ぐために費やさなければならなくなる。
梅田さんがこの問題を本書で避けて通るとは思えなかったし、私としてもぜひ梅田的世界観を読みたかった。
そんなわけで、「ウェブ時代をゆく」を開いて、あの問いの答えはどこに出てくるのだろうかと思いながら序章に目を通した。
するとはたして、

本書では「好きを貫く」新しい生き方と、現実社会と折り合いをつけて「飯を食う」ことを両立させるにはどうしたらよいかについても真剣に考えたい(第七章)。

ときた。
これこれ、待ってました、といきなり第七章から読み始める。
しかし、第七章「新しい職業」は、これに真正面から答えているようには思えず、欲求不満が残った。この章で梅田さんは小林秀雄「作家志願者への助言」を引きつつ、こう述べる。

小林秀雄が(中略)こんなことを書いている。「(中略)こういう言葉をほんとうの助言と言うのだ。心掛け次第で明日からでも実行が出来、実行した以上必ず実益がある、(後略)」

「文学志願者」への「少なくとも一外国語を習得せよ」にあたるアドバイスとして、「十八歳の自分」に向けて私は迷わず「ウェブ・リテラシーを持つ」よう助言するだろう。リアル世界とネット世界の境界領域のフロンティアを生き「新しい職業」につく可能性を広げるためのパスポートだと思うのだ。

ここで梅田さんの言う「ウェブ・リテラシー」というのは、パソコン教室で「インターネットを使ってみましょう」と言われて教わるようなものとは全く違う。相当にハイレベルな内容である。とはいえ、ネットに入り浸り、オープンソース活動にいそしみたい若いプログラマは持っていそうな内容だ。
確かに、身につけていればネットでもリアルでも稼ぐチャンスを増やすことはできそうだ。第一歩としては悪くないが、その先はどうなるのだろう。
続いて、まつもとゆきひろやアンドリュー・モートンなど、企業に所属しながらオープンソース活動を続けるスーパースターが紹介される。確かに、新しい雇用形態とも言えるが、見方を変えればスポーツ選手が企業に所属して、練習ばかりしているのと同じ、という気もする。要するに広告塔だ。
広告塔になるには運とか才能とか人一倍の努力とか、何らかの非凡さが必要なのではないだろうか。言い換えると、広告塔を目指そう、というのはバラ色の夢かもしれないけれど、一般向けのアドバイスにはならないように思う。
さらにその後、ネットで作品を公開し続けることでミュージシャンとして生計を立てることを実現したコールトンの話が出てくる。これも、いい話かもしれないが、ミュージシャンというところがスポーツ選手と同じで、やっぱり非凡さが求められているように思う。
何となく釈然としないまま、順不同に他の章のページを繰る。第一歩のウェブ・リテラシー以上、スーパースター未満、基本は凡人、の大多数はどうしたらいいんだろう…。
そうやって、結局全体に目を通し終わった後、気がついてみると最初の問いにこの本はどう答えているのか、見えてきたような気がした。
要するに、「ウェブ時代をゆく」ではこの問いに真正面からは答えず、「メタ解答」つまりどうやって答えを見つけるか、について書いているのだと思う。具体的には、「好きを貫く」かつ「飯を食う」については「ロールモデル思考法(第四章)」がメタ解答のコアになっているように思う。
この第四章はとても刺激的だった。私なりの解釈で言うと、ロールモデル思考法は「自分がなりたい人生」を手に入れるために、そういう人生を送っている人のソースコードをパクッてきて、自分の人生に移植する、そんなイメージだ。私も、人のエッセーや自伝を読んで影響されたことはままある。けれど、梅田さんのように、あたかも生き方のパターンを検索して自分の望みに近いものを探し、それを参考に自分の人生をプログラミングするということを意識的にやった記憶は、私にはない。梅田さんが「戦略的に生きてきた」というのはこういうことか、と納得した。
メタ解答の話に戻ると、「好きを貫く」かつ「飯を食う」を実現するために、それを実現している人をロールモデルとして自分の中に取り込んでいくべし、というのが答なのだと思う。まつもとゆきひろやアンドリュー・モートンは、先鋭的ではあるが今の段階でロールモデルになりうる例なのだろう。彼らそのものにはなれなくても、彼らをロールモデルとし、自分の人生を再プログラミングすることはできるかもしれない。
また、オープンソース活動で有名になり企業で雇用される、という形態が唯一の道でもないはずで、これからも新しい雇用形態は出てくるのだろう。もしかしたら、いずれはその中から自分にぴったりくるロールモデルが見つかるかもしれない。
誰かが答えを見つけたなら、それに倣えばいい。誰も見つけていないのなら、自分でなんとか手に入れるしかない。
そして、手に入るまでは、サバイバルするしかない。サバイバルするのに、どうすべきか。ウェブ・リテラシーを身につけていると、心強い武器になるだろう。
たぶん、そういうことなのだと思った。